アートディレクター 2

印刷会社に勤めていた頃の上司(アートディレクター)74歳にい会いに行って来ました。

夕方、仕事帰りに突然お邪魔したのですが、ちょうど、ベットに備え付けの机の上に、本が2冊置いてありました。

一冊は、「名言」、もう一冊は、石原慎太郎著者(幻冬舎)の「弟」でした。

話しは、当然、石原裕次郎の事が書かれた「弟」の、本の「装丁」の話しが中心になりました。

「この本いくらと思うか?」

1996年当時の本の価格からして、「1200円ですか。」

という話しになり、

「1800円ど…

よっぽど買いたいと思わんと、買わんいや!」

「この買いたくさせる本の装丁がスゴイ」

と話しが進んで行きます。

表紙のブルーの表紙の色の話しや、「弟」という本のタイトルの話しになりました。

石原裕次郎のファンにとって、本のタイトルに「石原裕次郎」の何とかと入れる場合と、単なる「弟」と名前を入れるとのでは大違いだ、と元アートディレクターはいいます。

74歳の元アートディレクターは、裕次郎ファンなのです。同じ世代なのです。サラリーマン時代、ダブルのスーツを着て、胸ポケットのハンカチをさし、コーヒーを飲む時は小指を立てて飲むようなところがありました。。

とにかく、この元N課長(アートディレクター)は、かなりの裕次郎ファンだったようです。

私など、「太陽にほえろ」で石原裕次郎をしった世代で、裕次郎の魅力は解かりません。

同世代のN課長は、「石原慎太郎の弟」という、「兄弟の個性」、「生き方の違い」などを兄の慎太郎を意識して、「二人セットで見る」のだそうです。

慎太郎と裕次郎を一緒に見る感覚…

やはり同世代というのは、私たちの世代とは違うようです。

もし、「弟」を、本のタイトルを裕次郎の名前をはっきり出して売れば、もっと売れるだろうと言う考え方がある一方、

「石原慎太郎の弟」いう兄からのイメージでタイトルをつけて、裕次郎の写真でもなく、ブロンズ像のイラストを使い、青春運時代をイメージする青空の色、本を開いての最初の写真は、

慎太郎、裕次郎の兄弟の、仲の良さそうな「子供時代の後ろ姿」の白黒写真

この装丁が裕次郎ファンにとっては、ココロ憎い、どうしても

「買いたくなる本」だそうです。ファンの言葉は説得力があります。

戦後の大スター、石原裕次郎の魅力を、74歳になっても感じ続けるというのは、40代の私には良くわかりません。芸能人の生き方を何十年もまねし続ける…そんな感覚が…

「はやり、すたり」の激しい芸能界を見てきた世代にはない、感激を持ってスターを見る眼があるのだと戦前生まれの元N課長を見て思いました。

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アートディレクターとは

本日、新下関駅近くの、私の、昔の上司の家に、剪定に行って来ました。

玄関側の、庭にある、松を中心に、一日で、剪定させて頂きました。

一般に、会社勤めでは、新卒で就職して出会う、最初の上司の影響は、大きいと、よく言われています。

仕事観、社会人基礎力、専門技術、専門知識、など、本人にも自覚できないほど、多大な影響を与える事でしょう。

今、関心を持っているキャリアデザイン論では、自分の棚おろしは大切のようです。

今日の現場の、この、かつての上司(現在74歳)は、1990年、私が大学を卒業して、印刷会社に就職して営業部に配属された時の一番最初の上司でした。

新人の、営業の私に、片手を広げ、5本指を一本づつ折り曲げながら、

「まず、プランナー。次に、アートディレクターであり、プリンティングディレクターであり、さらにマネージメント、総括してプロデュース。営業なんて言葉は、使うな。」「日本で有名な、デザイナーの名前を、5人言うてみい。」

繰り返し、仕事の合間に、こんな事を言われました。

この上司の下には、2ヶ月間しかおらず、営業の違う課に移ったのですが、その後も、一緒に食事に行く間柄となり、下関市立美術館の食堂にも、よく行きました。

この人と、出会った事が原因で、読んだ本が2冊、「完全版 高橋憲行の企画書」、「アートディレクター入門」。

アートディレクターを自認して、ご自分が、担当した美術館の図録や、記念誌、文化的な冊子の奥付に、デザイナー、コピーライター、カメラマン等の名前と並べ、AD(アートディレクター)として自分の名前を入れておられました。

自身の専門性を打ち出す事については、こだわりがあり、印刷会社の営業としては、かなり、めずらしく、特徴のある、営業スタイルです。当時も、おそらく、今も……。

日本の高度成長時代を、北九州営業所の所長として、毎日新聞社や、北九州都市協会、北九州市立美術館の仕事などをして、印刷出版関係の賞なども取り、話を聞いていて、うらやましい限りでした。

キャリアデザインの考え方では、社会に出てからの10年くらいは、日々の仕事を慌ただしくこなしていく、「筏くだり」。その後は、専門的な分野を目指す為の、「山登り」へと進んでいく…この様な変化が理想なようです。そういう意味では、この上司のキャリアデザインは、かなり参考になります。

この上司の、40歳代当時は、1970年代で、まさに、高度成長時代。この頃の印刷会社(今でも)には芸術大学を卒業した営業マンは、珍しかったそうです。アートディレクターと言う言葉も定義付けされておらず、まさに時代は、「走りながら考える」時代だったのでしょう。

現在は、アートディレクターと言う言葉は、一般的には認められいます。ですが、具体的には、明確にイメージしにくい言葉です。常に、「アートディレクターとは」と自問自答していかなくてはいけません。印刷会社にいた12年間、私もそう問いかけていました。

夕方になり、今は、もう74歳のアートディレクターが、奥さんと、外出から、帰ってこられました。

「すまんな、暑いところ…きれいになった。適当でええど…。」

と、声をかけて頂きました。

着ている服を見てみると、靴も、ズボンも、シャツも、帽子も、すべて白でコーディネート。

かなり前に、会った時も、黒でコーディネートしていました。…相変わらづですね。…サラリーマン時代は、ダブルのスーツに、胸のポケットにハンカチをさしていましたね…。

アートディレクターの「山登り」は、現在進行形のようです。

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ゴミ捨ての戻りに…

剪定の仕事で、作業の都合上、木屑を捨てる暇がなかった為、自宅の敷地の中に固めて置いていたのを、市のゴミの処分場に捨てに行きました。桜が、ちらほらと咲いています。今年は、暖冬で桜の開花が早いと、何かとテレビのニュースで言っていますが、桜が咲き始めると春だなーて思いますね。処分場へ行った戻りに、久々にNさん宅に行って見る事にしました。昨年、剪定の仕事もさせて貰ったのですが、このNさん(74歳)、私が以前12年勤めていた会社の、それも新入社員時代の2ヶ月間、私の上司だった方なのです。ベットの周りは相変わらず本の山。側のテーブルの上には俳人、種田山頭火の本が7~10冊平積みに置いてあって、自然、山頭火の話になりました。「さくらさくら、さくさくら、ちるさくら」と入社した年の社員旅行で九州へ行くバスの中、当時の企画開発室のN課長が挨拶の冒頭に使った句の話しとなり、10月の旅行に季節外れではないですか?…と16年前の話しをすると、めでたい席だから言ったんじゃないか?桜は日本人の心…などと思い出話しに花を咲かせました。その後、女流俳人の田上菊舎の話しなどして、帰りましたが下関出身の菊舎にも「もどりには 道に迷いつ 山桜」ていう句がありますよね、満開の桜が楽しみです。

庭木の剪定、植木の手入、「庭木剪定」承ります。|下関・九州

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